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 アカペラだけではなく、なんでも有りのデイリー。管理人テラダが徒然に。


(2007/03/07(Wed.) 22:39 〜 2007/02/06(Tue.) 20:28)

  急な話ですが、 2007/03/07(Wed.) 22:39 

デイリーをブログに移行することにしました。

[Click Here!]

理由その1
時代の流れ

理由その2
友人の薦め

理由その3
憧れ

理由その4
デイリーはログがバンバカ消えてくから

理由その5
君の瞳に乾杯

理由その6
月が欠け、海が満ちるから

理由その7
勢い

理由その8
気持ち次第

理由その9
実験

理由その10
反応待ち

以上。



  模擬練習 2007/03/03(Sat.) 09:53 

あの「鉄道員(ぽっぽや」を書いた
浅田次郎さんは子供のころから
「大きくなったら小説家になるんだ」と
おもっていたそうです。

それは夢とかじゃなくて、将来そうなるはずだ、という
運命論的事実であるという認識だったといっていました。

なれるかどうか?ではなく、
なる、という認識。

そこから本当にすばらしい小説家になったわけだから
やっぱり凄い。

かといって、浅田次郎さんは
のんべんだらりとこれまでを過ごしてきたわけじゃない。

若いころから小説を練習してきたそうです。

自作のものももちろんですが、
そのほかにもメソッドがありました。

僕が興味深く思ったのは
「名作を自分で書き直す」という
ユニークな方法。

たしか、川端康成の「伊豆の踊り子」だったかなぁ、
自分ではじめから最後まで書きなおしたそうです。
ノーベル文学賞受賞者の作品を
書き直す、という大胆不敵な思考と
挑戦し、書き切る実行力。

小説家になる、という思い込みだけでなく、
安座せずに動く努力が、好奇心が
あの浅田次郎さんを創り出したのだ!

すばらしい。

ということで、僕もその方法論を
すこしばかりかじってみようと思います。

何に挑戦しようかなぁ?

名作、名作っと。

やはり欧米の価値観「個」を持ち込み
近代文学の礎を築いた作家で
僕も好きな夏目漱石でいきますか。

あの淡々としながらも情味を含んだ
独特の文体を自分なりに噛みしめて。

”吾輩は猫である。名前はまだない。”の
初文が有名な『吾輩は猫である』をチョイス。

デイリー始まって以来の連載となるか!?
それでは、楽しんでくれれば幸いです。

+++++++++++++++++++++++

『吾輩は猫である』





吾輩は猫である。

名前はまだないんだワン。

・・・。

+++++++++++++++++++++++++++++

まぁ、そういうことで。



  笑える。 2007/03/01(Thu.) 21:48 

昨日は、「ですます体」を止めてみたら、
適当に書いてもちょっといつもより深刻にみえますねw

今日はちょっと笑えるムービー(YouTube)の
リンクをはっつけときます。

ジャンルは「お笑い」ではぜんぜんなくって、
「音楽」なんだけど、
観てる途中でわらけるか、
観終わってからわらけるか、
試してみてください。

[Click Here!]

僕的にははじめからにやけっぱなしでしたが、
3分40秒を過ぎたあたりから笑うしかなかったです。

うーむ、変態だな。

ドラムソロがなんか寂しくなっちゃうのって
初めて観た(笑)



ちなみに、ドラマー以外は
みんな同じ風にハゲてる。
それも、ジワジワ笑える。



  僕という名の、けものみち。 2007/02/28(Wed.) 21:02 

社会人になってから新しい人と会う機会が増えた。
僕は営業ではなくて、殆どデスクワークなわけだけれど、
新しい環境で、新しい生活をするようになったわけだから
新しい人に出会う数は多くなる。
まぁ、比較的、ということだけれど。

で、最近気づいたことがあるのだ。

「僕」という人間の”イメージ”はそんなに多様性がない、
ということ。

雰囲気、というか、人柄、というか、
そういうもの。

初対面であったひとが
おそらく僕に抱くであろう”イメージ”は
きっと、いくつかの言葉に置き換えることができる。

そして、僕が想像する言葉と
相手が直感的に感じる言葉は
大して差がないんじゃないかと思う。

一方、知り合ってから1,2年くらいたった後、
やっぱり僕の”イメージ”を言葉に置き換えたものは
ある程度想像がつく。
もしかすると、初対面の時よりも
その言葉の数は減っているかもしれない。

この事実から類推するに、
僕という人間は、
すでにある程度の「型」にはまっている
ということだ。

それを進んで認めるには
ちょっと抵抗があるけれども、
ここは渋々認めなければならないだろうなぁ、と
思っている。

なんせ、僕は初対面の人に
「あなたはとてもワイルドだわ」
といわれたことはないし、
「火傷すると思ったから、近づかなかったよ」
と言われたこともない。

大抵、話してみると僕に初めて抱くイメージと、
その後の変遷というのは
プラスマイナス20%くらいの誤差はあれど、
予測は可能なのだ。

その事実は、ちょっと驚きを伴っている。

僕は、時に悩み、迷いながらも
気まぐれに、大抵のことを深く考えきらないまま
さまざまな行動を起こしている。

けれど、その集大成である
僕自身の雰囲気は、
殆ど変わらないのだ。

そこには価値観とか、社会通念とか
そういうベースになるものが存在するんだろうと思う。

でも、でも!
僕はそんなに「パターン化」されているんだろうか!?
と自分では俄かには信じがたい。

しかし、事実は事実だね。

僕はそろそろ腹をくくらなきゃいけない
タイミングを迎えているのだね(遅い?)。

どうやら、相当なショッキングな出来事がなければ
僕は大きく変わることはできないのだろう。

道端を歩いていてすれ違ったお婆さんに
いきなり右手をもぎ取られ、
救急病院に担ぎ込まれた後、
理不尽に脾臓を切除されたりしたら、
僕という人間は大きく変わるかもしれない。

けれど、それくらいのことがなければ
僕は「今の僕」の線形グラフの上にいるんだと思う。
あくまで、非線形ではなく。

あたかも草原に踏み固められた
けものみちみたいに。

もし、自分を大きく変えたいならば、
逆説的になるけれども、
きっと持続可能な強度で
長時間の変化を維持しなければ
変わっていかないのかもしれない。

未来の僕は、今の僕の発展系でしかありえないのだ。
今の僕が仮面ライダー1号なら
10年後の仮面ライダーV3なんだろう。
まかり間違ってもウルトラマンQにはならないのだろう。

僕は僕を認め、否定し、嫌悪し、肯定していくのだ。

僕のけものみちは、今の僕とつながっている。

目的地を変えたいなら、
地道に踏み鳴らしていくしかないのだろう。

いつか、
「あなたって、ワルい男ね」
と言われるように



  さぁーて 2007/02/26(Mon.) 22:05 

にっこり。

今日はいろいろありましたが、
家に帰って
Earth, Wind & Fireの
「In Concert」[Click Here!]
を観たので、しこたま元気になりました。

「That's The Way Of The World」は
何度聴いても癒されますわ。
モーリス・ホワイト。サイコウヨ。
ヴァーダイン・ホワイト。歯茎グキグキヨ。



  この週末の出来事。 2007/02/19(Mon.) 23:18 

この週末は仕事終わりで無理くりつくばに遊びに行きました。

というのも、僕の学類(他大でいうとこの学部か学科に当る)の
友人のバースデイを祝うためなのだ!

以前、このデイリーでもチラッと紹介しましたが、
僕たちはみんな健やかに幸せに成長できるように
「歳の数だけホニャララ」という
企画を行います。
かれこれ、7,8年になるのではなかろうか。

去年の僕のときは、「利き納豆28」でした。

とにかく、毎年自分の誕生日近辺では
大量の”何か”を食すこととなります。

で、今回は僕の友人の番。

ハッピーバースディトゥーユーの音楽とともに現れるのは、
肉28枚のマック。

「メガマック」の登場で沸き立った日本。
そして、メガマック以上のメチャ肉マックを作った先人たちへ
敬意をあらわし、後はノリで作ってみました。

ハンバーガー26個+ビックマック1個。
この構成です。

で、出来上がったのが一番したの画像。

なんというか、食べ物じゃない感じ。
でも、もちろん僕たちの善意が運んできた
大切なプレゼント。

友人にはリバース直前まで挑戦していただき、
ほぼ完食となりました。

肉以外にあまったパンは、誕生日以外の人間で
モサモサと食しました。
パンとパンをあわせると肉抜きのものができるので、
それを「マック」と呼ぶことにしました。
「マック」は実に味気なかったです。

さすがに「マック」だけでは食べきれなかったので、
つくばの池の鯉にあげてきました。
(えさは無断であげないように。ごめんなさい。)
何はともあれ、破棄の憂き目は逃れたわけです。

毎年ネタに困る歳の数だけシリーズですが、
今後どういった展開になるのやら。

ま、テキトーにいきましょ。

奥のが「某マック(単位数えるの面倒だもん)」で、
手前のが「マック」です。



  アフターダーク / 村上春樹 2007/02/18(Sun.) 23:25 

読了後に思ったことは、このアフターダーク[Click Here!]
村上さんの作品を人に薦めるときには
挙げられないだろうな、ということでした。

それほどにこれまでの村上作品と触感が違います。
あいまいさを含んだ示唆性は
村上さんの作品の(あるいは”物語”というものの)
重要な要素であることは間違いありません。

ただ、そのあいまいさが、さらに輪郭をぼかし
細かく漂う雰囲気のように作品を覆っています。

簡単に言って、
何を示すために書かれたか、把握できない、というところ。

結論のない物語で、長編というには短い点からすると
第一作目の「風の歌を聴け」に似てなくもない。
ただ、登場人物達のパーソナリティーが見えにくく
共感しづらい部分が大きく異なる。
文体もこれまでの村上さんの作品とは
趣が違ってきている。
各文章が短く、テンポは淡々としている。
だれにでも読める、でも、「捕まえにくい」。
その部分だけ強調していえば、
詩のことばに似てなくもない。

でも、僕はこの作品に対して、
うっすらぼんやりと惹かれるところがある。
それも、読み返せば読み返すほどに。

ストーリーに結論を求める人には
この物語は向いていないです。
どこにもたどりつきません。物語は。

登場人物の物語はそれぞれが複合的に絡み合うけれども、
因果関係が明確ではなく、物語の接点も必然性が
感じられない。

だからこそ、逆説的に「つながっている」と
感じてしまう何かがこの物語にはある。

僕達が生きている世界は凄く複雑で
何と何がつながっているのか
それを明らかにすることはほとんど不可能です。

ただ、僕達は便宜的に「AをしたからBになった」という
仮説を立てているに過ぎない。
あるいは、ストーリーを立てているに過ぎない。

その仮説やストーリーは一見もっともらしくみえるけれども、
本当に、本当にそうなのだろうか?

そこに含まれていない、切り捨てられ、見過ごされた部分は
どこにつながっていくのか?

わずかながらに放棄された事柄やそれを結ぶルールが
いつの間にか蓄積して、僕達の世界に影響を
及ぼしているのではないか?
そう感じさせる何かがあります。

僕達の知らない、あるいは複雑すぎて把握できない
便宜上無視せざるを得ない、この世界が動くルール。

村上さんはきっとそれを示唆しようとしたのではないか?
繋がりにくい物語を通して。

この作品で取り扱っているテーマには、
オウム地下鉄サリン事件を取り上げた
「アンダーグラウンド」[Click Here!]以降一貫して
物語に組み込んできた「悪意」・「暴力」があります。

その悪意や暴力を都会の深夜の出来事をとおして
象徴的に浮かび上がらせているのが
この「アフターダーク」なのだと思う。
ここでの「悪意」とは
ひとつの単純な論理であらわせるものではなく、
あまりに多因的で、巨視的であるがゆえに
その姿がみえず、捉えることができないもの。

言葉にしようとしても、少ない言葉では
かえって嘘になってしまう種類の「悪」なのだと思う。

だから、村上さんは「物語」をとおして
それを描かざるを得なかった、
ほかに描く術を見つけ得なかったのではないかと
僕は想像する。
(作品を書いた段階では、ということだけれど)

そして、その「悪意」に対抗する術があるとしたら、
ごくごく個人的な記憶であり、想いであるのだろう、と
そう伝えている気がする。

でも、その記憶や想いで勝利することができるかどうか、
まではこの物語で語ってはいないんだろうと感じた。

だからこそ、読了後にどうしようもない「居心地の悪さ」を
感じるのではなかろうか。

この物語を読むと、
僕の生きている世界で起こっている「事件」とよばれる
不吉なものは、あるいは、僕とつながっているんじゃないか、
と思う。

大企業のずさんな管理体制が生み出した違反であったり、
報道番組が繰り広げる嘘と欺瞞であったり、
一家族が行ったグロテスクな刺殺事件であったり。

僕達は無関係にこれらの事件を第三者として
「批評」することができる。

でも、この「アフターダーク」は僕に語る。

”それはあなたにも関係して起こった出来事なんじゃないの?”
と。

企業や、報道や、その一家に対して、
僕は明確な因果関係を持っていません。
でも、あくまで「明確な」因果関係については、
ということです。

社会通念が「正しい」と判断している論理的なルールでは
僕はどう考えても、一切のかかわりを持っていません。

にもかかわらず、「アフターダーク」は
僕とそれらの事件をつなぐ陰鬱な紐を意識させ、
僕が評価できないルールを現出させるのです。
そこには警告があり、告白があり、いくばくかの憤りがある。

それがきっと僕がこの作品に惹かれる理由なのだと思います。

この物語は村上春樹の代表作にはなりえない。
共感を得るにはあまりにも漠然としすぎている。

その漠然とした部分には読者の価値観や体験で
埋めることができるスペースがたっぷりとある。

つまり、人によって読み方が
大きく異なる作品でもあるのだと思う。

かといって僕の読み方が正しいとか、
ほかの人の読み方が深いとか、そういうことでもないとも思う。

僕にとってこの作品は
次を示す飛び石のようなものに感じられます。

村上春樹作品群の中でいえば、
アルバムの中のインタールード曲に近い位置づけだろう、と。

曲自体にどうしようもない魅力があるわけではないけれど、
それが挿入されることでアルバムの雰囲気を印象付け、
次の展開を予感させる、そういうインタールードを
思い浮かべる。

「アフターダーク」単体の作品だけではなく、
前後の文脈から読み取る作品なのかな、と思う。

立ち位置とか、そこんとこひっくるめて、


繰り返し読むほどに、興味深い作品だと感じる。
不思議な作品だ。


おまけ:
テラダ的「アフターダーク」読みに参考になると思われる
村上春樹関連書籍

●アンダーグラウンド[Click Here!]
●約束された場所で[Click Here!]
地下鉄サリン事件をあつかったルポ。
被害者側、加害者側両方からインタビューし、
人単位での事実と、その集積である事件を浮かびあがらせる。

●村上春樹、河合隼雄に会いにいく [Click Here!]
心理学者・河合隼雄さんと村上さんの対談集。
「物語」が現代社会と人間に対して果たす役割についての
二人の価値観が実に興味深い。
なるほど、物語ってそういうことか。

●ねじまき鳥クロニクル[Click Here!]
失われた奥さんを取り戻す、僕の物語。
物語に編みこまれるさまざまな「悪」が興味深い。
村上さんの作品の中で「悪」という形を
社会、個人のレベルではっきりと登場させた
初めての作品だと思う。

●心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア著 村上春樹訳[Click Here!]
殺人犯と、その一族に脈々と受け継がれてきた血の物語。
忌まわしき行為のルーツを、殺人犯の実弟が探り出す。
血に潜む社会の影響が実に印象的。
現代の主流ともいえる、個人(価値)主義をゆさぶる
家族の物語。
僕達は自分だけで生きているのではない、と
当たり前のことを感じる、圧倒的迫力の作品。



  ねじまき鳥クロニクル/村上春樹 2007/02/14(Wed.) 22:56 

まとまって電車に乗る機会がありました。
そんなときはなんといっても本を読むに限ります。

寝るのもいいのですが、
育ちがよい僕としてはイスで寝ると
どうも目首肩腰が凝ってしまうのです。

ここはやっぱり読書・読書。

最近、「村上春樹フェアー」が
僕の中で大好評続行中なのです。
ごくごく個人的になのですが。

正直言って、大学を卒業してからというもの
村上さんの作品をまとめて、
じっくりゆっくり読むことがありませんでした。
読んでも、気に入っているシーンだけパラパラと
ページをめくる程度でした。

何よりも「読みたい!」という強い動機がなかったんですね。
それが忙しく(規則正しく生活するように)なったからなのか、
自分の価値観が推移してきたからなのか、
そこんとこよくわからなかったのですが、
とりあえず村上さんは学生のときに堪能したかなぁ、と思って
読書優先度を一ランク下げていたのです。

しかし!
この間「国境の南、太陽の西」を読み返したことで
僕の中でフェアーが始まりました。
あ、「国境の〜」の前に「海辺のカフカ」を読んだな。
んで、こっから
「スプートニクの恋人」
「ノルウェイの森」
「アフターダーク」
と立て続けに読みました。

で、その感想としては
『あー、やっぱり学生のころに感じた
 どうしようもなく”もってかれる”感覚が
 弱くなったかなぁ』
というものでした。

なんというか、ちょっと悲しかったです。
あの揺り動かされながらも、静かなカタルシスのある
読了感が懐かしく。

とはいうものの、せっかくなので
ちょっと勢いに乗って長編を読み返してみよう!
ってことにしました。

で、勢いに乗ったときこそチャレンジしたかったのが
「ねじまき鳥クロニクル」。
しかも、おあつらえ向きに読書に集中できる時間ができる。

そんなわけで、一気に全編を読み通しました。

いやぁ、この「ねじまき鳥」は
僕とっては苦手な村上さん作品の最右翼なのです。
というのも、
物語の筋がよみにくいのと(わざとやってるんだけど)、
戦争の話の部分が妙に重苦しい
ということがあるのです。
学生のころに読んだときも、
スイスイと楽しんで読める部分と
なんだかよくわからないゴツゴツとしたよみにくい部分が
ハッキリと分かれていて、物語に入り込むのに
苦労した覚えがあります。

で、今読んでみると、
そういう飲み下しにくい部分に物語のキモ(苦いなぁ)が
あるんだなぁ、と思ったわけで。

この物語では「悪意」というものが
主要なテーマのひとつに掲げられています。

その「悪意」は意識的なものであれ、無意識的なものであれ、
また先天的なものであれ、後天的なものであれ
個人的であれ、社会的であれ、
さまざまな種類の悪意が含まれています。

今回一気に作品を読んだときに気づいたのですが、
僕自身、その悪意に対して理解(あるいは共感)が
明らかに深まっているんです。

これにはビックリしました。

年を重ねることで(あるいは社会に出たことで?)
「悪意」の捉え方が明らかに変わったのです。

そして、さらにビックリしたことには
「悪意」を読めるようになったことで
物語の深みが増し、
”感動”が大きくなったのです。
クライマックス部分なんて
涙さえにじむほどに。

ああ、なんてこったい。

マイナス方向が深まったことで
プラスの触れ幅も大きくなりました。

これって当たり前かもしれないけれど、
腹に落ちると、結構ツライ事実です。

つまり、
歓喜には絶望が必要ってことなの!?
至福には不幸が必要ってことか!?

そうかもしれねぇよな。

もちろん、「ねじまき鳥」の主旨は
全然そこではないですが、
それでも今回の読書で感じた自分の変化は
いかんともしがたく、そんな場所に打ち付けられておりました。

いやぁ、やっぱりすげえなぁ、村上さん。
「ねじまき鳥」を搾り出してきたってのは
尋常な人間のできることではないです。

僕は予想するんですが、
きっと村上さんはこの先にもっと完成度の高い
「ねじまき鳥」的な物語を
つむぎだすのではないでしょうか。

それほどに「悪意」に対する
この作品での村上さんの立ち位置は
興味深かったです。

なんだかいろんな方向に話題が飛びましたが、
久しぶりにしっかり村上作品をご馳走になった気分です。
長い時間電車にのってみるもんだね、たまには。



  「車輪の下」 ヘルマン・ヘッセ。 2007/02/06(Tue.) 21:46 

「車輪の下」[Click Here!]

ノーベル文学賞受賞者ヘッセの代表作でありながら、
僕の記憶に残る、最古の読書感想文課題作品です。

小学校高学年くらいのとき、
コイツを読みました。

そのときの僕は明らかに読書に興味がなく、
読書感想文という課題を与えられたからこそ
シブシブ小説を読むこととなったのです。

読んだにもかかわらず、僕の持っている
「車輪の下」に対する記憶はといえば
『詩人の話だったような』
『なんかふわっとした暖かいイメージだったような』
という至極あいまいなもの。

読書感想文の必須文字数を達成するために
本文よりも「あとがき」を必死に読み込んだ覚えがあります。

まさに、義務に裏づけされた読書の象徴として
僕の中で確固たる位置を占めているのが
「車輪の下」。

つい先日、「車輪の下」を読み返してみました。
15年以上の時を経て、広がるアンダー・ザ・車輪・ワールド。

なるほど、こういう作品だったか。

確かに詩人は出てくるが、主人公ではない。
そして、あくまで明るくはなく、暗いお話です。
車輪とは社会的な意味だったのね。

いわゆる進学校に進んだ主人公が
成長の過程で価値観の変換と社会からの圧力を受けた結果
クライマックスの「車輪の下」へ
引き摺りこまれていく。

思春期での心身の変貌を語った作品ではあるけれども、
「読む時期」としては
大学生くらいの年齢がよいのではなかろうか。

思春期真っ只中の状況では
なんとも「なんじゃこりゃ」感が否めなかろう。
一歩そこから抜け出さないと、この作品の
言わんとするところが読み取りにくい。

少なくとも僕だったら二十歳は超えてないと
興味深く読めない。いや、二十五歳くらいかもw

10歳をちょこっと超えたくらいで
チャレンジしたのは、無謀だったなぁ(笑)
っていうか、確かね、
「推薦図書」みたいになってたのよ。

推薦って、ムリムリ。

ある程度文学に触れてないと、
これは読み込めないっす。

物語の展開、それが含む深長な意味、
使われる言葉の流麗な動きや
鋭いセンスで切り込む文章。

なるほどー、と読めたのは
読書感想文なんて書かなくて済む年齢になったからでした。

どっかのレビューにも
「追体験」というキーワードがあったけれども、
読むことで、主人公と同じ年頃の自分を
追体験できるのではないかと思います。

やっぱり、名作っていうのは
そういわれるだけのゆえんがあるんだなぁ、と
当たり前のことを感じたヘルマン・ヘッセ体験でした。



  僕らは見当違いな方向へ走り続ける 2007/02/06(Tue.) 20:28 

この間、新バンドのメンバーに
「サイパンさんって、凄く似合ってるネーミングですよね」
って言われました。

よく考えたら、成田のことをサイパンって呼んだこと
ほとんど無いよなぁ(笑)

そういえば、僕も「べっぴん」と呼ばれたことは
ほとんど無いわなぁ。

テツはずっと、いつまでも、テツであり、
細田もやっぱり、そのまま細田なわけで。

本山君も「もっくん」って呼ばれてないよなぁ。

うそだらけのメンバー紹介のページ。

古きよき時代。







 
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